2012年5月15日火曜日

●東京逓信病院

山田守設計、大倉土木施工、東京富士見町、昭和10~12年:分離派建築会の同人だった山田は、やがて表現主義を離れて「国際様式」に転ずる。吉田の東京中央郵便局にみられるように、いささか自虐的に、硬化した禁欲的教条主義がとられた。単純に徹することが近代的であるという確信である。しかし、こういう明快な思想統一が、近代建築の確立には、一度は必要であった。(『逓信建築』から)

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