2025年6月20日金曜日
2024年5月2日木曜日
八ツ沢発電所施設(第1号水路橋)
八ツ沢発電所施設は,桂川にほぼ平行して東西に延びる水路式発電所施設である。そして,大野調整池という大規模調整池を有するわが国最初期の本格的水力発電所施設である。動画の水路橋はこの施設の一部であり、一号から四号まで現存する。
2021年7月18日日曜日
旧三河島汚水処分場喞筒場(ポンプじょう)施設
わが国最初の近代下水道施設で、国指定重要文化財に指定されている施設です。
大正11年に運用を開始し、平成12年に重要文化財に指定されたということです。
2018年12月に見学しました。見学の際に、東京23区のマンホールカードがもらえます。
「三河島」という地名から、「三河島事故」を思い出す人もいるかもしれません。
2019年6月19日水曜日
●現名古屋市市政資料館(旧名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎)
少し前になりますが、ゴールデンウィークに名古屋へ旅行したときに訪問した旧名古屋控訴院です。赤レンガと中央のドームが華やかな印象を与えています。さらに、内装もかなり豪華で、天井のステンドグラスが見事ですし、階段の手すりなどは多分大理石だと思います。控訴院は現在の裁判所のようなものだと捉えられるのであれば、留置場があったのは意外でした。とにかく、現存する唯一の「控訴院」建築という意味でも貴重な存在だと言えるでしょう。現在では資料館として、さまざまな展示物があり、歴史的な資料として名古屋のさまざまな地図や写真、絵葉書なども展示されており、古い物が好きな人には大変居心地のいい空間です。名古屋の穴場スポットとしておすすめしたいと思います。入館料も駐車場料金も無料です。
2018年12月5日水曜日
●宮ケ瀬ダム
神奈川県の中津川に建設されたダム。2000年(平成12年)竣工の重力式コンクリートダムで、治水を主とする特定多目的ダム。
頂高(ダムの高さ)は156メートルという高さで、展望台から直下部を見下ろしたときの景色はなかなかのものです。
定期的に観光放流をしており、動画はその模様を撮影したものです。
無料のエレベーターで天端(ダムの頂上)に上ることができ、またインクラインというケーブルカーのような乗り物を使って天端まで行くこともできます。(有料)
「水とエネルギー館」という資料館ではダムカードをもらえ、館内のレストランでは名物ダムカレーもあります。
総じていえば、かなり観光地化されていて、ダム初心者には入りやすいところだとは思います。車の場合、愛川公園の駐車場に止めて、そこから歩いて行くことができます。
2017年9月28日木曜日
2015年8月14日金曜日
●大日影トンネル
山梨県の甲州市にあるかつて中央線で1997年まで使用されていたトンネル。すぐ隣に新大日影第2トンネルができたため、古い大日影トンネルは、使用されなくなったが、2007年に遊歩道として整備され現在に至っている。写真は下り口だが、上り口には隣接する深沢トンネルはワインカーブとして利用されています。勝沼ぶどう郷駅から徒歩で行くことができ、往復およそ1時間ほどかかります。トンネル内は涼しく、なるほど隣の深沢トンネルがワインカーブとして利用される理由がわかります。
キロポストです。このトンネルは経産省の近代化産業遺産に指定されています。「建築」の定義は改めて考えることにしたいと思いますが、トンネルや橋梁なども、建築物として含めて今後も探偵を続けていきたいと思います。
2015年2月15日日曜日
2013年12月21日土曜日
●旧エンバーソン邸
ロバート・エンバーソンはカナダからキリスト教伝道のために日本に派遣された人で、この住宅は1904年に静岡市葵区西草深に建てられた彼の自宅です。その後、エンバーソンが帰国した後も宣教師や牧師の住居としての役割を果たすことになりました。建築から80年を経過したころ、老朽化を理由に解体の話が持ち上がりましたが、建物そのものが市へ寄贈され現在の場所(静岡市駿河区池田2864-52)に移築され、歴史的建造物として保存されることになりました。明治時代の洋館によく見られる下見板張りが良い雰囲気を醸し出していると同時に、写真ではわかりにくいですが屋根は瓦で、これも「和洋折衷」の一つの形だと言えるでしょう。現存する場所は、日本平動物園のすぐ近くにあるのですが、看板がないのでややわかりにくいかもしれません。日本平動物園の人に聞けばすぐ教えてもらえると思います。都会にある古い建造物は、老朽化を理由にすぐに解体とか、高層ビルを作って一部だけ張りぼてのよう残すという中途半端に保存されがちですが、このように移築することで建物の完全な保存が可能だというアイデアはもっと注目されてよいと思います。欲を言えば、せっかく残した建物ですから、うまく宣伝して観光資源として活用できれば言うことありません。
2013年10月12日土曜日
●津金学校
山梨県北杜市にあります。中央高速須玉・長坂インターから車でおよそ20分のところにあります。設計は小宮山弥太郎。1875年に落成。いわゆる「擬洋風建築」の学校ですが、山梨県のそれは当時の山梨県知事、藤村紫朗の名前にちなみとくに「藤村式校舎」と呼ばれています。山梨県には藤村式校舎が他に4校現存します。玄関(車寄せ)の曲線的な軒はまるで寺社建築のようであり、また中央の塔はチャペルを模したもので、鐘ではなく和太鼓を吊るしているところが日本的で面白いと思います。建築とは関係ありませんが、古いオルガン(山葉製)が数多く展示されています。
2013年5月31日金曜日
2013年2月1日金曜日
●丸の内ビルディング
三菱地所部・フラー社設計:フラー社施工:大正9年~12年。いわゆる「丸ビル」です。アメリカ式のスピード施工による建築で、あまり耐震力が強くなったビルです。大正11年の地震で損傷。翌年の、関東大震災では大損傷を受けることになります。被害の調査から、部材が細いこと、鉄筋の数が少なかったことがわかっています。アメリカ流の合理主義は、コスト削減を強いるために、重要なところが抜け落ちてしまうのかもしれません。対照的に、前に紹介した、日本興業銀行は、丸ビルと同時代に建てられたものだが、震災に耐えることができました。なお、丸ビルは「丸ビルのマスで計って何杯」などものさしの役割も果たしていました。
2012年12月15日土曜日
●旧藤澤カントリー倶楽部・クラブハウス
この建物は昭和7年(1932年)開場のゴルフ場「藤澤カントリー倶楽部」のクラブハウスでした。アントニン・レーモンドによる設計で、現存する日本最古のクラブハウスになります。(「善行雑学大学寄贈の案内板」より、2012年10月4日撮影)
2012年10月31日水曜日
2012年8月31日金曜日
2012年7月12日木曜日
●日本興業銀行
[渡辺節・山崎源逸・内藤多仲設計:大林組施工:東京丸の内:大正10~12年(1921-23)]
東京タワーの設計などで知られる内藤多仲が設計に携わっている。関東大震災では多くの建物が倒壊あるいは損傷したのだが、その多くがアメリカ式の工法によるものだったからである。アメリカ式の工法は、コスト重視のため、建物は短い工期と安価な材料によって作られ、日本が地震多発国であるという事情を考慮するものとは言えないものであった。日本興業銀行は、頑丈な鉄骨をさらに鉄筋コンクリートで包み、建物の要所要所に耐震壁を設けたために、関東大震災にも持ちこたえた。現在の鉄骨鉄筋コンクリート造りの元祖とも言える作品である。
東京タワーの設計などで知られる内藤多仲が設計に携わっている。関東大震災では多くの建物が倒壊あるいは損傷したのだが、その多くがアメリカ式の工法によるものだったからである。アメリカ式の工法は、コスト重視のため、建物は短い工期と安価な材料によって作られ、日本が地震多発国であるという事情を考慮するものとは言えないものであった。日本興業銀行は、頑丈な鉄骨をさらに鉄筋コンクリートで包み、建物の要所要所に耐震壁を設けたために、関東大震災にも持ちこたえた。現在の鉄骨鉄筋コンクリート造りの元祖とも言える作品である。
2012年7月4日水曜日
●丸善
[佐野利器設計:清水組施工:東京日本橋:明治41年~42年(1908-09)]
佐野利器は、サンフランシスコ大震災(明治39年)の被害状況を調査し、鉄骨を主体とした建築物の耐震性を学んだ。そして、試作として、アメリカ式の鉄骨主体の丸善を設計した。鉄骨のみの建物は耐震にすぐれているが、鉄は熱に弱いため、耐火上は弱い。そのため、鉄を覆う膜があったほうがよい。写真からはわかりにくいが、壁はレンガ壁となっていて、レンガは建物を支える役目をもっておらず、単なる耐火被覆の役割しかはたしていない。これは、「鉄骨帳壁作り」と呼ばれるアメリカ方式の技法であり、カーテンウォールとも呼ばれている。この工法は、後の日本のレンガ作り建築の標準となった。
佐野利器は、サンフランシスコ大震災(明治39年)の被害状況を調査し、鉄骨を主体とした建築物の耐震性を学んだ。そして、試作として、アメリカ式の鉄骨主体の丸善を設計した。鉄骨のみの建物は耐震にすぐれているが、鉄は熱に弱いため、耐火上は弱い。そのため、鉄を覆う膜があったほうがよい。写真からはわかりにくいが、壁はレンガ壁となっていて、レンガは建物を支える役目をもっておらず、単なる耐火被覆の役割しかはたしていない。これは、「鉄骨帳壁作り」と呼ばれるアメリカ方式の技法であり、カーテンウォールとも呼ばれている。この工法は、後の日本のレンガ作り建築の標準となった。
2012年7月2日月曜日
●浅草凌雲閣

浅草凌雲閣です。東京スカイツリーが一般公開されたのが、今年の5月22日でした。昔から人々は高い建物に対して憧れのようのものを抱いていたのかもしれません。
ところで、明治時代には、浅草に「凌雲閣」という名の搭がありました。[バルトン設計、和泉孝次郎施工:東京浅草:明治23年(1890)]
当時の浅草の名物で、12階建て、高さ50メートルのレンガ造りの八角塔です。すでに大阪に同じ名前の塔があったので、こちらは「浅草の12階」と呼ばれていました。なお、大阪の凌雲閣は9階建て、高さ39メートルということですから、浅草の塔のほうが高いということになります。八角の一辺はおよそ、4.5メートルほどであり、最上部二階は木造。日本で最初のエレベーターが設置されたということで、エレベーターマニアの人は要チェックです。ただし、危険なので2年後に廃止。10階までは普通階段、それより上は螺旋階段、9、10階に休憩所がありました。
さて、設計者である、バルトンは、全国都市の給水施設の基本を作った功労者であり、そのため、給水塔、灯台の建築には精通していたのかもしれませんが、外人ということもあり、凌雲閣については、地震国日本の事情をあまり考慮しない設計だったと言えるのかもしれません。明治27年の震災に耐えた凌雲閣も、関東大震災では、9階より上が崩壊、さらに火災により焼け爛れました。関東大震災では、多くの建物が倒壊しましたが、日本の建築を考えるうえで、避けることのできない問題のひとつだといえるでしょう。
なお、パリのエッフェル塔の建設は、明治22年の万博でのことである。
2012年5月31日木曜日
●東京中央郵便局(建設中)
建設中の東京中央郵便局。新しい名称は「JPタワー」である。一時は完全取り壊しかと思われたが、解体現場にかけつけた鳩山邦夫がストップをかけるという一幕もあった。しかし、写真からわかるように、このような保存方法は外観だけを保存した一部保存に過ぎない。近年、歴史的な貴重な建築物は、巨大な高層ビルの一部として外観だけ残して、再建されることが多い。確かに、こうすればたしかに「外側」だけは保存されるが、はたしてこれで建築の本質は保存されたことになるのだろうか。建築の本質は、おそらく内部の構造も含めてのもののはずである。このような外壁だけ残す保存方法は単なる「張りぼて」にすぎないように私には思える。
(撮影日:2012年5月20日)
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