浅草凌雲閣です。東京スカイツリーが一般公開されたのが、今年の5月22日でした。昔から人々は高い建物に対して憧れのようのものを抱いていたのかもしれません。
ところで、明治時代には、浅草に「凌雲閣」という名の搭がありました。[バルトン設計、和泉孝次郎施工:東京浅草:明治23年(1890)]
当時の浅草の名物で、12階建て、高さ50メートルのレンガ造りの八角塔です。すでに大阪に同じ名前の塔があったので、こちらは「浅草の12階」と呼ばれていました。なお、大阪の凌雲閣は9階建て、高さ39メートルということですから、浅草の塔のほうが高いということになります。八角の一辺はおよそ、4.5メートルほどであり、最上部二階は木造。日本で最初のエレベーターが設置されたということで、エレベーターマニアの人は要チェックです。ただし、危険なので2年後に廃止。10階までは普通階段、それより上は螺旋階段、9、10階に休憩所がありました。
さて、設計者である、バルトンは、全国都市の給水施設の基本を作った功労者であり、そのため、給水塔、灯台の建築には精通していたのかもしれませんが、外人ということもあり、凌雲閣については、地震国日本の事情をあまり考慮しない設計だったと言えるのかもしれません。明治27年の震災に耐えた凌雲閣も、関東大震災では、9階より上が崩壊、さらに火災により焼け爛れました。関東大震災では、多くの建物が倒壊しましたが、日本の建築を考えるうえで、避けることのできない問題のひとつだといえるでしょう。
なお、パリのエッフェル塔の建設は、明治22年の万博でのことである。
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